自分本位の考え方
- bonaondo

- 20 時間前
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自分自身を本位として、
自分の家族や、
自分の利害関係のある周囲だけの
幸福や利益を重点として、
それで金をつくってみたり、
地位をつくってみたり、
名誉をあげてみたり、
あるいは自分の事業の成功というものに
キュウキュウとして、
それで万事オーケー、
それが人生のすべてのすべてだ
というふうに考えている人が、
とくに現代の物質文化の時代には
多いんであります。
中村天風
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▼働きを通して世の人々のために役立つ
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(以下、杉山彦一著『いのちを活きる』
第11章より引用抜粋)
企業に社会的責任があるように、私達個人も、
働きを通して世の人々のために
役立ってゆかなければならないのである。
これが社会的職業観である。
私達はなぜ、社会的職業観の立場に
立たなければならないのか。
社会の中で生活している事実を見れば、
すぐ了解できることである。
私達は、人様のおかげで
自分の生活ができているのである。
身につけている洋服も、ネクタイも、
靴も鞄も、
みな世間の人々が作ったものである。
自分で作ったものは一つもない。
「この洋服は俺の物だ。十万円で買ったんだ。
純毛だぞ」というけれど、よく考えてみれば、
とても十万円で洋服はできるものではない。
オーストラリアが原産地の純毛を例にとろう。
牧場を経営している人がいる。
羊を養育し、伸びた毛を刈り取った人がいる。
その毛をトラックにのせて、
草原や砂漠を越えて輸送した人がいる。
クレーンを操る人は、
山のような羊毛を船に積み込む。
南太平洋の波濤(はとう)を越えて、
数万トンの船を名古屋港まで、
はるばる航海してきた人達がいる。
船から羊毛をおろし、
トラックに積みかえ尾張まで運ぶ。
一宮市は織物の盛んな所である。
糸を作る。糸を染める。
布を織る人と、多くの人の手を経て、
生地はでき上がる。
生地を積んだトラックは、
深夜の東名高速を疾走し、
東京の日本橋に着く。
生地は問屋から流通機構を通じて、
さばかれる。
店頭にある生地を見とめて、
私は洋服を注文する。
寸法をはかり、デザインする。
仮縫いまでしてくれて、
やっと出来上がった洋服が、金十万円。
多くの人々の協力があってこそ、
十万円で洋服が自分のものになるのである。
私達は、世の人々のおかげで、
生活をしていることになる。
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■ 6月の天風箴言
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模倣も極致に到達すると真実と同様になる
従って「善」なる事は極力模倣すべきである

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