清濁併せ呑む寛容さ
- bonaondo

- 7 時間前
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たとえ自分自身の心が
積極心になりえたとしても、
自己の心の状態を基準にして、
他人の心を推(お)し量ることがあっては
絶対にいけない。
よりわかりやすく言うと、
自分に対しては
常に厳しくあらねばならないが、
これを他人に押しつけてはいけないのである。
すなわち他人に対しては、
清濁併せ呑むという寛容さを持つことである。
もしもこれを失うと、他人との勝ち負けに
こだわる心が瞬時に現れてきて、
積極心の保持を妨害するからである。
中村天風
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▼清濁を併せ呑むということは、
人と人の「縁」を大切にすること
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(以下、機関誌「志るべ」に掲載された
「箴言註釈16」現代語表記版より引用抜粋)
※『叡智のひびき』箴言16に該当。
清濁を併せ呑めない人というのは、
その心が、要するに狭量であるからで、
言い換えれば了見が狭いからなので・・・
同時に、そういう人は、
人の世の因縁というものの本当の尊さを、
正しく認識していないからである。
遅かれ早かれ、
自分も又は知り合う相手も、
必ずやこの世を去ることになる。
人の世の逃れられない
さまざまな現実というものを慎重に考えると、
この世でお互いに知り合う間柄に
なったということは、
これは思うに誠におろそかにできない
大切な事柄なのである。
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■ 2月の天風箴言
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時は金なりという諺があるが 真実に於て
時は 金よりも遥かに貴重な尊とさがある

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