top of page

心や肉体が自己ではない

3/24 


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



心や肉体が、


人間=自己に対してどんな関係にあるか、


について説明しよう。



心や肉体は人間そのもののように見えるが、


実はそうでなく、



人間がこの世に活きるのに必要な、


いろいろな方便を行うための


道具という関係なのである。



哲学的にいえば、


心や肉体は人間の個体生命の


生存と生活とを確保存続させるに必要な


不可分的生命付属物なのである。



故に、心や肉体は、


人=自己ではなく、


ましてそれが人=自己の本体では


ないのである。



中村天風




━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 


▼自分の正体


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



(以下、『心に成功の炎を』第3章より


引用抜粋)



どんな場合があろうと、


自分というものの正体は、


形ある肉体でもなければ、心でもない、


目に見えない一つの気体、



ぜんぜん感覚できないけれども、


現在の自分を生かしてくれている


この「気」が自分なんだと、


こう思わなきゃいけない。



命の一切は正体であるこの「気」に


お任せしなさい。


これが命のかぎを握ってんだから。



この正体が、心をつくり、


肉体をつくってくれて、


その命を活動させるという大根大本なんだ。



頭が痛くても、心に心配があっても、


自分の正体というものは傷つけられないもの。



□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


■ 3月の天風箴言


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



調和という事は真善美の美に該当するもので 


それは 探求すべきでなく作為すべきである

 
 
 

最新記事

すべて表示
感謝へのふりかえ

3/23  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 病があろうが、運命が悪くなろうが、 それを感謝と喜びにふりかえることです。 そもそも病とか不運とかというものの 原因を考えてください。 何にも自分に落ち度がなくして、 病や不運がくるはずないのであります。 つまり、原因あっての結果。 ですから、 おまえの生き方に誤りがあるぞ、と 自覚を促すために病なり不運なりが 与えられたとしたら、 これは

 
 
 
無意注意と有意注意

3/22  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 注意というものには、 1.無意注意と 2.有意注意 という二つの区別がある。 第一の無意注意とは、 特に意識を用いて注意を振り向けようと しないでも、 自然的に注意の注がれる 心的状態のことなのである。 第二の有意注意というのは これと全く反対なので、 すなわち特に意識を用いて 自己の特定した事物に向って 注意を振り向けるという、 言い換え

 
 
 
大定心(だいじょうしん)

3/21 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「大定心」というのは、どんなとき、 どんなことにも、いささかも動揺せぬ心、 いいかえると、いかなる場合にも、 怯(お)じず、怖れず、急がず、焦らず、 いつも淡々として 極めて落ち着いている心である。 これをもっと適切な状態でいえば 「何事もないときの心と同様の心の状態」 である。 あの古い句で有名な 「湯上りの気持ちを欲しや常日頃」 というの

 
 
 

コメント

5つ星のうち0と評価されています。
まだ評価がありません

評価を追加
bottom of page