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心に合理的修練をさせる

10 分前
読了時間: 2分

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どんな場合にも、またどんなことにも


安心立命で悠々と生活し、



健康な肉体を有し、


長寿の幸福を克ち得るために、


自己統御が必要である。



その前提として、


本当の「我」というものを正しく信念し得る


自覚意識を確立させるために、



心に合理的修練を施して本来の境地に


心を活かすように心がけねばならない。



そして自分の本質が


どんなものであるかがわかれば


自己統御も完全となり、



そしてさらに精神訓練の効果を積み重ねて


立派な人になれる。



中村天風





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▼自己の本体とは?


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(以下、機関誌「志るべ」に掲載された


『研心抄』現代語表記版第1章より引用抜粋)



心や肉体というものはうわべだけで考えると


人間そのものであるかのように見えるが、



実はそうでなく、わかりやすく言えば、


心や肉体というものは、



人がこの世に生きるのに必要な


いろいろの方便を行うための道具なのである。



およそ人間の生命のなかには、


心および肉体よりも一段超越した、


しかも厳として存在する実在のものが


一つあるはずである。



試しに考えてみるとよい。



諸君が諸君の心や肉体の存在を


意識的に自覚したのは、


おそらく生後三年か四年後の頃で


あったろうと思う。



そこであえて自問自答してみることである。



自分自身、心や肉体の存在を


意識的に自覚しなかった当時、


諸君というものは


存在していなかったかどうか? 



言い換えれば、諸君の生命は


生存していなかったかどうかである。



我々の生命は自分自身や肉体の存在を


意識的に自覚するしないとに関係なく、


既にその以前から立派に存在していた。



すなわち、各自の心や肉体の存在を


自覚しなかった以前から


我々の生命を確保していたものこそ、



我々の真我=自己の本体で、それが、


とりもなおさず真正の自己なのである。 





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■ 10月の天風箴言


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真人たらんには その生活を考慮するに先ち


生存を確保することを 第一に認識するべし


 
 
 

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