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 不偏愛

11 分前
読了時間: 2分

9/21 


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「不偏愛」とは何を意味するかというと、


率直にいえば何ものをも憎まざる


公平無私の純正なる愛情をもって、



人にも物にも、


否、ありとあらゆるいっさいに平等に、


相接することである。



それは繚乱(りょうらん)たる陽光と同様に…。



しかも、この不偏愛の実行ということは、


ただ単に唯善践行の秘訣であるばかりでなく、



厳格な意味からいって、


真人生の本来の真の面目なのである。



だから、万一愛の情けに偏りがあるのでは、


ほんとうの人といえないのである。



中村天風





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▼愛情に偏りを生ずるのは、


心に好悪の感情の激しいものがある結果


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(以下、機関誌「志るべ」に掲載された


「新箴言註釈23」現代語表記版より引用抜粋)


※『真理のひびき』箴言23に該当。



愛情に偏りを生ずるのは、


その人の心に好悪の感情に激しいものがある


結果なのである。



好悪感の感情の激しい人は、


我がままで自制を欠いた


自分勝手な心のために、


知らず知らず自分自身を委縮させ、



その人生がついには自らの言動で


身動きがつかなくなるというジレンマに陥る。



好悪の差別感をはなはだしくもつ人は、


自分もまた他人から同様に好悪される。



好悪感から脱することができて


人に好かれる人になれば、



人生は平らな砥石(といし)のように平坦で、


思うままの満ち足りた人となれる。



人というものは、知識や経験や能力等が


いくら優れていても、


人に好かれる要素に欠けていたのでは、



人と人との間にあって生存し生活する、


いわゆる人間としての存在資格を


確保することは到底難しい。



偉く優れている人が、


なぜ大した出世も成功もしないのか・・・


それを何か不運のように思う人もあるが、



結局は人に好かれる要素に欠けていることが、


その大きな原因として見つかるに違いない。





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■ 9月の天風箴言


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日常生活を行う際


能う限り「善」なることを行おうと心かけるのは


人生の最も尊といことである

 
 
 

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