不偏愛
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「不偏愛」とは何を意味するかというと、
率直にいえば何ものをも憎まざる
公平無私の純正なる愛情をもって、
人にも物にも、
否、ありとあらゆるいっさいに平等に、
相接することである。
それは繚乱(りょうらん)たる陽光と同様に…。
しかも、この不偏愛の実行ということは、
ただ単に唯善践行の秘訣であるばかりでなく、
厳格な意味からいって、
真人生の本来の真の面目なのである。
だから、万一愛の情けに偏りがあるのでは、
ほんとうの人といえないのである。
中村天風
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▼愛情に偏りを生ずるのは、
心に好悪の感情の激しいものがある結果
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(以下、機関誌「志るべ」に掲載された
「新箴言註釈23」現代語表記版より引用抜粋)
※『真理のひびき』箴言23に該当。
愛情に偏りを生ずるのは、
その人の心に好悪の感情に激しいものがある
結果なのである。
好悪感の感情の激しい人は、
我がままで自制を欠いた
自分勝手な心のために、
知らず知らず自分自身を委縮させ、
その人生がついには自らの言動で
身動きがつかなくなるというジレンマに陥る。
好悪の差別感をはなはだしくもつ人は、
自分もまた他人から同様に好悪される。
好悪感から脱することができて
人に好かれる人になれば、
人生は平らな砥石(といし)のように平坦で、
思うままの満ち足りた人となれる。
人というものは、知識や経験や能力等が
いくら優れていても、
人に好かれる要素に欠けていたのでは、
人と人との間にあって生存し生活する、
いわゆる人間としての存在資格を
確保することは到底難しい。
偉く優れている人が、
なぜ大した出世も成功もしないのか・・・
それを何か不運のように思う人もあるが、
結局は人に好かれる要素に欠けていることが、
その大きな原因として見つかるに違いない。
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■ 9月の天風箴言
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日常生活を行う際
能う限り「善」なることを行おうと心かけるのは
人生の最も尊といことである


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