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「不断」と「ふだん」

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昔からの訓話に「行修は不断であれ」


というのがある。



この「不断」という文字は、


日常のことを「ふだん」というのと


同意義に解釈すべきで、



すなわち行修はすべからく、


日常の生活行為であるべしという意義に


他ならずであります。



中村天風




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▼心身統一法=日常生命道


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(以下、機関誌「志るべ」に掲載された


「箴言註釈10」現代語表記版より引用抜粋)


※『叡智のひびき』箴言10に該当。



心身統一法の中で、


特別な時間がないと


心がけても行うことのできない方法が、


何か一つでもあるかね?



特にプラナヤマ法の如きは、


何をしているときでも行えるではないか。



歩いていても、座っていても、


話をしていても、


仕事をしていていも…。



人間はどんなときでも、


生きている間は呼吸をしているではないか。



呼吸をしている以上、その呼吸の仕方を、


プラナヤマ法にして


活力を吸収することくらい、



何の手間ひまもいらず、


一日に何百回でも行えるではないか。



心身統一法=日常生命道というように、


極限すれば寸刻分秒の間といえども、



全ての方法(心の活かし方または使い方、


及び肉体の活かし方、使い方等々)を


真剣に実行することに専念努力しなさい。



そうすれば、僅(わず)かの月日の間に


自分でも驚くほどの価値高い変化を、



精神にも肉体にも必らず


見出すことができるから。




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■ 8月の天風箴言


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人生は儘ならぬ世界と正念すれば


不自由や不満というものを


少しも苦悶で感じなくなる



▼天風箴言の解説は、


 公式HPでご覧いただけます 



 
 
 

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