「まごころ」をもった行為
- bonaondo

- 3 時間前
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人間の行為に、
まごころのこもってなされるものと
その「否」との場合は、
その結果の事実のいかんにかかわりなく、
その行為の「尊さ」というものに、
すこぶる格段の相違がある。
たとえば、
他人の危難を救うというような場合、
報償を目当てにして人を救ったのと、
断然報償などを念頭に置かずに救ったのとは、
たとえ敢然として難を冒して救ったという
その行為と事実とは同様であろうとも、
その行為の尊さに、全然大きい隔たりがある。
中村天風
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▼真の親切は報償や利益を目的としないもの
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(以下、杉山彦一著『いのちを活きる』
第7章より引用抜粋)
人は、それぞれの人生を生きる。
楽しいこともあろうが、
悲しくも辛い思いを、いくたびも体験する。
この世に人間として生をうけたお互いとして、
傷つきながらも懸命に生きようとしている
その人の姿に、
しみじみとした共感をおぼえるのである。
共感や思いやりから、その人のために、
役立つことをして上げようと思う。
ここから、親切という行動が、
発動してくるのである。
「この人に、今ここで親切を尽くしておけば、
後のち自分に有利な展開になるにちがいない」
との思いでなされた親切は、
本物の親切ではない。
「親切にしようか、やめておこうか。
周囲の状況からみて、
親切にしなければならないのか」と、
いろいろ思索したあげく親切をしたとしても、
それは理性のはからいでの親切であるから、
本当の親切とはいえない。
真の親切は、
報償や利益を目的としないものである。
まごごろからの親切は、
ためらいがなく、さらりとやってのけて、
後がさわやかである。
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■ 3月の天風箴言
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調和という事は真善美の美に該当するもので
それは 探求すべきでなく作為すべきである

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