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「まごころ」の尊さ

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ちょっと一杯の茶を出すのでも、


「ハイ」と返事をするような些細な行為でも、


そのとき、何の報償をも念頭に置かず、



すなわちその人に気に入られようとか、


あるいは、好感をもたせよう


とかいうような気持ちでなく、



そこに一点何の求むるものなき、


純一無雑な「心」で、それが行われるとき、



その行為から、


形容のできない温かいものを感じる。



それはすなわち


「まごころ」というもののもつ尊さの


感応である。



中村天風




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▼「まごころ」を込めた行為と


そうでない行為


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(以下、『折れない心』より引用抜粋)



人間の行為に、


「まごころ」を込めて為されたのと、


そうでない場合は、



その結果がどうであれ


その行為の「尊さ」には格段の違いがある。



***********



たとえば他人の危機を救うというような場合、


報償目当てで救ったのと、



そのような見返りなど念頭に置かずに


救ったのとでは、



たとえ自らの危険をかえりみずに


救ったというその行為と事実は


同じであっても、



その行為の尊さには越えがたい


大きな隔たりがあるはずだ。



言い換えれば、


その行為の因(もと)を成す


「心」なるものが、



報償や見返りを念頭に置いた「心」と、


報償などを計算の中に入れていない


自然から発した「まごころ」とでは



その純正さにおいて


後者のほうがはるかに正しく清いのである。



多く言うまでもなく、


真理は、万事に通貫する。



事実において、それは、


人の危機を救うというような


大きなことだけでなく、



日常の生活における行為に対しても


またしかりなのである。




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■ 7月の天風箴言


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どんな場合にも慌てない人となるには


平素の言動を 出来るだけ落ちついて行う様


心かけるべきである

 
 
 

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