「まごころ」の尊さ
- bonaondo

- 1 日前
- 読了時間: 2分
7/12
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ちょっと一杯の茶を出すのでも、
「ハイ」と返事をするような些細な行為でも、
そのとき、何の報償をも念頭に置かず、
すなわちその人に気に入られようとか、
あるいは、好感をもたせよう
とかいうような気持ちでなく、
そこに一点何の求むるものなき、
純一無雑な「心」で、それが行われるとき、
その行為から、
形容のできない温かいものを感じる。
それはすなわち
「まごころ」というもののもつ尊さの
感応である。
中村天風
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼「まごころ」を込めた行為と
そうでない行為
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(以下、『折れない心』より引用抜粋)
人間の行為に、
「まごころ」を込めて為されたのと、
そうでない場合は、
その結果がどうであれ
その行為の「尊さ」には格段の違いがある。
***********
たとえば他人の危機を救うというような場合、
報償目当てで救ったのと、
そのような見返りなど念頭に置かずに
救ったのとでは、
たとえ自らの危険をかえりみずに
救ったというその行為と事実は
同じであっても、
その行為の尊さには越えがたい
大きな隔たりがあるはずだ。
言い換えれば、
その行為の因(もと)を成す
「心」なるものが、
報償や見返りを念頭に置いた「心」と、
報償などを計算の中に入れていない
自然から発した「まごころ」とでは
その純正さにおいて
後者のほうがはるかに正しく清いのである。
多く言うまでもなく、
真理は、万事に通貫する。
事実において、それは、
人の危機を救うというような
大きなことだけでなく、
日常の生活における行為に対しても
またしかりなのである。
□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 7月の天風箴言
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
どんな場合にも慌てない人となるには
平素の言動を 出来るだけ落ちついて行う様
心かけるべきである

コメント