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月へ

2024年10月4日
読了時間: 2分

私たちは月へ行く選択をしました。今後10年間に月に到着する選択をしました。

容易な事柄ではありません。むしろ困難な事柄だから選択したのです。

その目標が私たちの最善の努力と技術を体系化し、評価するのに役立つからです。

そしてこの挑戦は、私たちが受け入れる事を望み、先延ばしする事を望まないものであり、

私たちにとっても、他の人達にとっても、勝利を目的とするものだからです。

確かに、この選択には莫大な費用がかかります。宇宙計画に関する支出はやがて上昇するでしょう。この計画が我が国の最優事項に捉えられているからです。それでも、

どんな結果が私たちを待ち受けているのかわかりません。だから私は、これを信念とビジョンの証とも言える行為だと考えているのです。しかし国民の皆さんにあえて申し上げまが、

私たちがヒューストンの管制センターから24万マイル離れた月へ送り込むものは、

高さ300フィート以上、幅はこのフットボール場ほどの巨大なロケットで、これまでの

何倍もの熱と圧力に耐えうるような新しい金属合金でできています。

この素材を最高級時計以上に精密に組み合わせ、推進・誘導・制御、通信に必要なあらゆる装備と、食料や非常用装備を積み込み、未知なる天体を目指す飽くなき宇宙飛行を続けさせるのです。そして、今日のこの場の暑さにも負けない、太陽の半分ほどの熱を生じた船体を

毎時2万5000マイル以上の速度で大気圏へ再突入させ、無事に地球へ帰還させます。

10年以内に、これを寸分の狂いもなく、最優先で行うのです。ですから、私たちは大胆にならなければいけません。

昔、エベレストで命を落としたイギリスの偉大な登山家、ジョージ・マロニーが、なぜエベレストに登りたいのかと聞かれてこう答えました。


「そこにエベレストがあるからだ」


そこに宇宙があります。だから私たちは昇のです。そこに月と惑星があります。そして、

英知と平和に対する新たな希望があります。だからこそ私たちはこの門出に際し、

人類初のこの危険に満ちた偉大な冒険に対する神のご加護を願うのです。


大統領ジョン・F・ケネディ、1962年9月12日

 
 
 

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