自分自身という存在
- bonaondo

- 7 時間前
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自分の心や肉体の存在を
意識的に自覚したのは、たぶん、
生後三年か四年たってからであろうと
推定する。
そこで自分で自分に聞いてみる。
自分自身が心や肉体の存在を
意識的に自覚しなかった当時、
自分というものが
存在していなかったかどうか?
言い換えれば、自分の生命は
存在していなかったかどうかである。
私の生命は、自分自身、
心や肉体の存在を意識的に
自覚するかどうかに関係なく、
既にその以前から
立派に存在していたのである。
中村天風
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▼心や肉体の存在を自覚していなかった
以前から生命を確保していたもの
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(以下、機関誌「志るべ」に掲載された
『研心抄』現代語表記版第1章より
引用抜粋)
各自の心や肉体の存在を
自覚していなかった以前から
諸君の生命を確保していたものこそ、
諸君の真我=自己の本体で、
それがすなわち真正の自己なのである。
しかもこの真我=真正の自己というものは、
諸君の生後の無自覚な間も、
またその後心の活動が開始されて
様々なことの理解や考察が
できるようになっても、
やはり依然として同一のものなのである。
否、厳密にいえば
諸君がこの世に生れ出る以前から、
既に諸君となるべき生命要素というものは、
厳然としてこの宇宙大気の中に
実在していたのである。
この厳粛な一大事実に思い及べば、
真我=真正の自己というものが、
明らかに心や肉体を超越した
尊厳な一実在であるということが
一層明瞭になりはしないだろうか。
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■ 4月の天風箴言
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人生に活きる際 気どったりぶったりせぬ様
心かけると
ドレダケ心に余裕が出来るか分らない

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