心身統一法は修行にあらず
- bonaondo

- 5月16日
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心身統一法の目的は、
「人間の生命に賦与された本然の力の
完全発揮」であるが、
この方法を修行として行ったのでは
第二義的となる。
では、第一義的とは何かというと、
それは講習や書籍、
あるいは行修を通して教える各種の方法を、
日常行事として行うことである。
すなわち、特別な機会に、
特別な気持ちで行うなどと
錯覚してはいけない。
だから、一人一人の日常生活のそれ自体が、
その人にとっての心身統一法そのもので
なければならない。
中村天風
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▼心身統一法の実践を
そのままに生活様式にする
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(以下、『哲人哲語』「行之義」より引用抜粋)
人生生活の状態と様式とが、
その人の個性に美しい火花を
閃(ひら)めかすか否かという、
至極大切な事を決定するのである以上、
心身統一法を行ずることを
特異な意味での「行」として考量せず、
それをそのままに生活様式とするというのが、
天風哲学の称呼する真の行と思量されてこそ、
頼もしい統一道同人なのであります。
要するに、人生というものは、
その精神生活と現実生活の中へ、
その思索を真剣に振り向けての
省察の深さからのみ、
正しい建設への結論が
現実に獲得されるものだという真理を、
実際生活の機微の間にも
疎(おろ)そかにしないことであります。
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■ 5月の天風箴言
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何人も 成功を希望して居りながら
案外否らざるものの多いのは 其心に
積極性のものが 欠けて居るからである

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